第4話 29歳大学生 西アフリカに来る前に派遣社員と予備校生だったって。

どうも「たくろう」です。

前回の記事の続きになります。
♦前回の記事はこちらです♦

第3話 政治家を目指していた私がなぜ途上国の教育に関心を持ったのか?

 

前回の記事の終盤なんだっけ?、、、それはですねたくろうの目標が「途上国の人々へ教育の機会を提供すること」で、その目標へ最初の目標からどうして変化したのかの理由を抽象的に説明させて頂いた巻でした。

 

では、今回も今から6年前(当時23歳頃・愛知県にて派遣社員)に回帰します。

当時、私はe-education(NGO)を立ち上げた税所篤快が書かれた「最高の授業を世界の果てまで届けよう」という本に出会いました。

実際、e-educationさんがやられてる手法(手法の説明については割愛させて頂きます)を途上国で広めれば多くの途上国の人々へ教育機会を提供でき多くの人々を喜ばせれることは間違いないと現在でも思っています。

なので、e-educationさんがやられている手法を参考に牧野オリジナルのテイストを加えて今後活動していく事を考えています。

その当時、いずれ税所篤快さんが立ち上げたe-education(NGO)団体や途上国で教育に関連する活動を行っているNGO?や日本又は海外の非営利団体に就職したいと考えるようになっていました。

また、その頃の非営利団体に入社した際の活動費に対する思考としては、「政府から非営利団体への援助金や国民の皆さんからの寄付金でやっていける」と考えていました。

勿論、全ての非営利団体が政府からの援助金をもらっていないのは承知しています。また、資金難に直面している団体が多数存在することも知っていました。

ですが、当時の私の思考の中には自分でビジネスをし自分で稼ぎだした資金を活動費にあてるといったマインドはありませんでした。

ただ世の中をより良くしたいという強い思いだけが私の頭の中でひとり歩きし、現実社会の動きを理解していませんでした。

というのも、強い思いを持って非営利団体として行動をなにかしら起こしても活動資金がなければ、、、一時的には活動を継続させるかもしれませんが継続的に効果的な活動を行うことは難しいと思うからです。

結局、なんだかんだいって状況にもよりますが「お金がないとなにも出来ない」私は思っています。

中村加代さんみたいな個人的な資金提供者がいれば話しはかわりますが。

なぜか私はパトロンという響きに惹かれます。^^(笑)

約6年前はこういったことを日々考え、愛知県から三重県まで教育関連のシンポジーウムを聞きに行ったり雑誌やネットで情報収集をしながら、今後の目標に向けての答えやヒントを見つけようとしていました。

 

その後予備校(約25歳)に入学しました。

予備校生活は1年で終了させるつもりだったんですが通算で2年通いました。

予備校や家でも勉強を自分で必死にやっていたつもりだったのですが、思うように試験の得点をあっぷさせることができず2年間予備校に通ってしまいました。

「英語」という友達となかなか仲良くなれなかったことが敗因の理由でした。

2年間で4回ぐらい泣いてましたね!!

あの期間は結構辛かったな^^

この予備校生活での学びは「努力しても叶わないことってあるんじゃね!?」と「勉強ってめっちゃ楽しい」でした。

説明を付け加えると、私が努力しても叶わないこともあると断言しないのは、なんかそれを認めてしまうと「夢という言葉」が持つ素晴らしい感覚がなくなり無機質な感覚だけになりつまらない人生になってしまいそうだからです。

確かに、いくら努力しても叶わない夢はあるでしょう。だからといって、初めからその夢に向かうことを辞めるなんて人生勿体ないし、別にたとえ夢が叶わなかったとしても夢に向かって動いていた過程は人生の肥料として、人生を豊かにすると思っています。

そんな中でも一番いいたいことは、実際に挑戦してみないと出来るか出来ないなんて分からないということ。

日本社会の雰囲気や日本人の思考はどちらかというと、挑戦しようとしている人に対してプラスの言葉かけはしないですよね。「やめときな、どうせやっても出来ないよ」てきな。
このようなマイナスの言葉って、相手の可能性という芽を知らないうちに摘み取ってしまってるいる可能性があるんですよね。

過去の自己体験でもの凄く腹が立ったことがあります。

私の事を思ってAさんはアドバイスを言ってくれたと思うのですが、Aさんは私がやろうとしていることを「やったこともないのに、どうしてお前にそんなことを出来るもんか」と言いました。

Aさんの気持ちはよく分かるのですが、、、私は一言いました「親父の時代と今は変わったんよ」と。
時には早目に見切りをつけることも大切であることは承知しています。

あと「勉強をすることが楽しい」と思えたことも私にとってもの凄く大きな学びでした。予備校での勉学生活を通して、例えば世界各国の位置や情勢の把握、国語の教科を通しては作者の意図と試験問題作成者の意図の両面を推理しながら解いていくといった、知というアドベンチャーに触れるかんじ。

これはたまらなく楽しかったですね。

同時に自分のマインドもインプルーブされていき、それまで知らなかったというか気づく事さえできなかった知という宝物の世界間をほんの少し知ることができ、思考の引き出しが増えたと思っています。

思考の引き出しが増えた(勘違いの可能性大)ことで、感情も豊かになった気もしますし、数か所の角度から物事を見れるようになったとも感じています。

なんといっても、予備校時代の勉学を通しての最大の学びは、試験で高得点を採れば自分の行きたい大学に行け、自分の叶えたい夢に近づくことことができることでした。

試験(センター試験など)は最も皆に公平に与えられた目標に近づくための最善の手段であるということ。(この考えは時代遅れの思考であることも理解しています)。

詳細をいうとそうでないケースもありますが、大方日本社会はまだその傾向が残っていると思います。
勿論、どの大学に行くかではなく、大学でどう過ごすかが重要なことは重々承知です。

ここまでお読み頂きありがとうございました。
次回の投稿も宜しくお願いします!

第3話 政治家を目指していた私がなぜ途上国の教育に関心を持ったのか?

どうも「たくろう」です。

 

前回の記事の続きになります。
♦前回の記事はこちらです♦

第2話 29歳大学生 なぜセネガルで養鶏場?

 

前回の記事の終盤なんだっけ?、、、それはですね「牧野が2回離職し、牧野は自分のやりたいことを見つけるには自分自身が関心があることは【とりあえずトライし、もしトライして関心がなかったら辞めればいいと】無責任なことを言ってた巻でした。

 

では今から、約6年前に回帰します。
ある日、たくろうは親に相談もせずJA(農協)を辞めました。

詳しくいうと、、、辞める前に一度、たくろうの勤務態度についてJAの方と私、私の親で三者面談はありました。

なので親はそれまでおそらくたくろうは、JAを辞めるのではとビクビクはしていた思いますが、、親父&お袋申し訳ありませんでした!^^

で、JAを離職してから私は「政治家又は総理大臣」になり私なりの考えで日本社会をより良い社会に変えていきたいと考えていました。お前しょうきかって話しですよね!

実はこの考えは、警察学校に入校していた時から抱き始めていました。

当時、政治家又は総理大臣になるためには名のある大学に進学しなければいけないと思っていました。そこで、私の出した答えは「国立大学の一橋大学」に入学することでした。

恥ずかしい話になりますが、私は中・高校と勉学とはかけ離れた生活を送り、高校では試験の度に毎回赤点を数教科とり校長先生と親を交えての三者面談に招待されていました。

ちなみに、高校の校長先生の自宅は私の家の真横だったので、お袋からは「あんたのせいであの3年間(私の高校在籍時)は胃が痛かったと言われました。

そんな感じだったんですが、私は「俺だって勉強を本気ですれば一橋大学」に入学できるといった自信を持っていました。なので、次は予備校に通おうと決意。

ですが、当時23歳ということや両親にそれまで多大な迷惑をかけてきたので、当たり前ですが予備校費を自分で用意する必要がありました。

 

私はその資金を貯めるために地元から愛知県の自動車工場に派遣社員として働きに行きました。

自動車工場の現在(18年・9/22)の状況は分かりませんが、当時は「働きたいです」と会社に伝えれば残業をやらせてもらえや休日も働かせてもらえました。

そのため私の地元では考えられない給与を頂いてました。また、自動車工場が長期休暇の時や休日には引っ越しのバイトやミスタードナーツでも働いていました。

いや~~自己満ですがめっちゃくちゃ働いてました。

あの頃思ったこととして、高卒で特別なスキルを持っていない人物でもこんなに稼げるところが日本国内にあるんだと。

ここで皆さんに伝えたいこととしては「情報を知っていると知っていない」では大きな差が生まれるということでした。この学びは私のその後の人生に大きな影響を与える学びになりました。

お金のために膨大な自由な時間は失っていましたが。

 

この頃からネットでの情報収集や本を読むようになっていました。そんな時、私の人生を決定づける本に出会いました。

その本は「最高の授業を世界の果てまで届けよう」という税所篤快(さいしょうあつよし)さんが書かれた本です。

この本に出合い、私が心の底から人生を掛けてやりたいのは「途上国の人々に教育の機会を提供すること」だと心底思え、私の人生目標は進路変更しました。

あの本と出会った時の感覚はちょっと思いだせませんが、、、本を読んいる最中、瞬きをすることをわすれ「やっと答えをみつけたぞ」とつぶやき、生まれてきたことに感謝していたような状況だったかなと思います。

私の目標が「政治家や総理大臣から、途上国の人々に教育の機会を提供すること」に変化した理由を述べたいと思います。

私が政治家や総理大臣を目指していた当時、「元大阪市長・橋本徹さん」が活躍されていました。その橋本徹さんからの影響が政治家を目指す切っ掛けとなりました。

しかし、テレビを通して政治家の方々の様子をみていると、なんだか皆疲れてるように見えるし、お互いに足の引っ張りり合いをしているように見えるなど、またメディアは対したことないと思われる事をくどくどと取り上げ政治家の方を批判している様に私には見えていました。

そういうことから、政治家に対しての興味が薄れていきました。

こんなことを言ってますが、最大の理由は私自身の能力なのはいうまでもないですが。

政治家の方は日本のために仕事を一生懸命されているのにあまり報われてないと個人的には感じています。

またこの時点で、「目標が途上国の人々へ教育の機会を提供すること」へと変化した理由はいくつかあります。

まず上記で紹介させてもらった、税所篤快さんが私と同じ歳で海外で教育に関する破天荒な活動を行い社会にインパクトを与える面白過ぎる活動を行っていました。

そのことに影響を受け、同じ歳の方がやっているなら「自分もしたい、自分にもできるだろう」という根拠のない自信を持ったことや。

国の発展のを考えた際に最短の方法はやはり教育だと思っていましたので。

また、社会により良いインパクトを与えることを考えた際に政治家より、個人で動き始めたほうがしがらみもなく自由にスピィディーに面白く動けると思ったことも大きな理由ではあります。

今後、改めて私の目標である「途上国の人々へ教育の機会を提供」については私の考えを詳しく述べます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回の投稿も宜しくお願いします!

第2話 29歳大学生 なぜセネガルで養鶏場?

どうも「たくろう」です。

前回の記事の続きになります。

♦前回の記事はこちらです♦

第1話 なぜ西アフリカで養鶏場を始めたのか?

 

 

今回の記事から題名にも記した、私が「なぜ西アフリカで養鶏場を始めること」に至ったかを過去から順を追って記載していきたいと思います。

その前に、私は「牧野拓朗」と申します。現在、東京にある某大学・2年生(夜間学部生)に在籍している29歳の九州男児であります。私は2回目の大学生活を送っています。1回目の大学生活は、2年生が終了すると共に中退しました。

現在は、私の現時点での最終目標である「途上国での教育の普及」を目的とし私なりに個人的に活動を進めているところであります。

では、久しぶりに過去に回帰したいと思います。
あれは今から約11年前、高校卒業後、九州の片田舎から関東の某大学に進学しました。あの進学が現在のたくろうを作り出した切っ掛けになったと個人的には思っています。

今でも覚えています、上京してマクドナルドに行き初めてマックを食べた時のマックの味に対する自分自身の驚き。

私はマックを食べた時に「えっ!!こんな美味しい物があったの!」と思いました。
というのも、私の地元にもあの当時マックは1店舗ありました。

 


ですが、私はその当時ラグビー部に所属し毎日・毎日ラグビーに明け暮れ、同時に私自身の思考はラグビーと狭い世界観で生活を送っていました。

狭い世界観とは、例えばネットを使って外(国内・海外)の情報を得ることをしないことや、テレビから得る情報に対してアンテナをはり自発的に外のものに興味を持ち調べることなどを一切せず、自分の半径5m内で生きていたような状態でした。

マックのハンブルガーを1つとってみても、確かにハンブルガーは体には良くないので食べないことにこしたことはないと思いますが、私自身「ハンブルガーはどんな味なのかな?」と考えることもしませんでした。

スポーツマンの体には悪いからと、思考を働かせる前に狭い価値観の元ハンブルガーをシャットダウンしていました。ハンブルガーに限ったことでなく、これは様々な分野に対してでした。

その為、あの時マックを食べた瞬間や大学で当時私が持っていなかった思考を持っていたある方の影響から、私の思考は少しずつ自分の知らない世界に対して興味を持ち始め、もっといろいろな事を知りたい・見たいと強く思うようになりました。

その後、関東圏を中心に様々な物・食・情報に触れ高校生までの私の生きていた世界がいかに狭かったかを感じるようになりました。

いったい世の中には私の好奇心をくすぐるどんな世界が存在するのか?、、、そしてその世界を見てみたいという欲求にかられる人生が始まりだしたのです。

そして、同時に生きてることが楽しくなってきたのを今でも覚えています。

その後、大学を辞めた20歳頃から私はいったい人生をかけて何がやりたいのかといった悩みが発生するようになったのです。

その悩みを解決したかったのですが、「自分が人生をかけて本当にやりたいこと」といった悩みって、今だから言えるのかなと思いますが一生かかっても解決又は答えを見つけれないまま人生が終わってしまう方がほとんどじゃないでしょうか。

私はその悩みに対する答えを約5年で見つけました。

5年という期間をみた時、「自分が人生をかけてやりたいこと」の答えを5年で見つけれたのは新幹線なみの高速スピードで見つけれたんじゃないのかなと思っています。

そんな高速で答えを見つけれた要因は、私は自分が興味あると思った職や遊びはどんなことでもとりあえずトライしてみて、興味がなかったら止め、どんどん次々にトライをしていったことが要因の1つだと思っています。

例えば、私は1回目の大学を辞めた後、専門学校や警察学校、JA(農協)などいくつか自分が興味を持てそうかなと思うものにトライ(就職)してきました。

、、、公安職(警察)は、正義感や責任感が強い私にとって向いている職だと初めは思っていました。

ですが、警察学校に入校し社会の現状を少し知ると、正義と悪のいたちごっこのように感じるようになり、もっと異なる手法で影響力を持って世の中に貢献したいといった思いを当時抱き初めまていました。

そのような理由や、私の精神面の弱さもあり警察学校を約6か月で辞めました。

、、、JA(農協)は、大変失礼なことではありますが当時の私のおかれた状況や親の勧めから入社したというのが本音です。間違いなくJAは素晴らしい企業ではありますが、私の意思に反しての入社だったため自発的に仕事に取り組む姿勢は無にちかかったです。

これらの経験から私は自分自身のことをよく知る学びを得ました。

それは自分自身が関心がないことを我慢して続けることは私はできないということ。

このように、トライし自分の欲求をみたすものではないと思ったら辞めてきました。

周囲には迷惑はかけましたが、そのようなことを繰り返してきたことで私が「人生をかけてやりやいと思うこと」が少しずつはっきりしてきたのです。

続きは、次の投稿でお読みください。最後まで読んで頂きありがとうございました。

重要ワード関心があることはとりあえずトライしてみる、関心がなかったら辞める。それでいい!


 

第1話 なぜ西アフリカで養鶏場を始めたのか?

どうも「たくろう」です。

私は現在セネガルのある地域に土地を買い、小さな養鶏場を始めて2か月が経ったところです。

第一回目の出荷はなんとか無事すみましたが、売り上げが黒字ではなく赤字だったので先行きが不安です。

不安といっても少しだけです!!、、、アフリカで生活していくのならこのくらいで不安がってたら病気になってしまいますしね。、、、強がってます(笑)

1、そもそもセネガルってどこ?

ここです↓。ロシアどのワールドカップで日本が対戦した国でもあるんです。

首都:ダカール

面積:196,712㎢ (日本:377,972 ㎢)

通過:西アフリカ フランセーファ(FCFA)

人口:1541万(2016年)、1498万(2016年)、(日本:1億2670万6千)

公用語:フランス語

フライト時間(例・エチオピア航空):約33~50時間(フライト次第でフライト時間も変動します。仮にエチオピアで1泊するフライトだとトータルで約50時間程かかることもあります。)

セネガルについてなんとなくイメージがついたでしょうか?そんな簡単にアジアを通り越したアフリカの一国をイメージできませんよね!申し訳ありません。

2、治安や生活環境ってどうなん?

①治安

アフリカって聞くだけで、日本人は治安は大丈夫なの?って頭をよぎるでしょ。

当たり前ですが、国や地域によって状況は異なるかと思うので一概に治安の良し悪しは判断できませんが、私がセネガルに滞在した通算計6か月弱から言うと。セネガルの首都ダカールを日夜散策した体験や、地方で夜道をパソコンなどを持って歩いたりしていますが今まで一度も危険と感じる瞬間には出くわしていません。

これらの体験から基本的にセネガルの治安は良いと思っています。ですが、隙をみせたらやられるかもしれませんけどね^^

☆豆知識:セネガル人から聞いたんですが、ちょっと悪い奴もファミリーの知り合いには手を出さないらしいです。(セネガルでのファミリーの意味は、日本でいう血縁関係を通り越して友人や顔見知りの人も含まれると思われます。)

 

②生活環境

うん~、、、生活環境ね。はっきり言って!日本は生活環境良すぎ、ご飯は美味しくてメニューは豊富だし、バスは時間通り来て、道路は舗装されてて何も文句ないよね。

だけど、完璧なのが俺にはなんか物足りないんだよね!っていうのも人間臭さがないんだよね日本。

そうは言っても日本には感謝してますよ!!

 

1、交通

セネガルはですね、例えばバス停に時刻表はほぼないと思います。タクシーに乗る際は、社内にメーターが設置されていないのでドライバーと金額の交渉から始まります。

交通に関しては、多少の苦労が付きまといますがそれなりに交通は充実しているので、目的地まで行けないという問題は発生しないレベルの交通機関状況です。

 

2、食

セネガルにも米をつかった料理は勿論のこと、魚、野菜、肉(鶏・羊・牛・豚)を使用した料理も多数あり、美味しいです。料理をする際に大量の油をつかうのが少し難点ではありますが。

基本的には、朝はパンを食べ、昼はセネガル料理又はパン、夜はセネガル料理といった食事スタイルです。

 

3、住居

地域(セネガル)によって住居に差異はありますが、基本的にコンクリート・ブロックを積み重ねて住居を建築する方法が一般的です。

コンクリート・ブロックを重ねた建築方法って大丈夫なの?って思うかもしれませんが、セネガルは地震がないためこの建築方法で問題はないんです。

都市部には数千万単位、億単位の住居もごく僅かではなく、多数見受けられ日本の住居より立派やん!!ってビックリさせられることもよくあります。
だけど、多分トイレにオシュレットはないです。(笑)

 

3、最後に!

今回はセネガルについてざっくり紹介させてもらいましたが、次回からは少しずつ題名にも記した「なぜ西アフリカのセネガルで養鶏場を始めたの?」についてやマニアックな内容の投稿をしていきたいと思います。

今後とも宜しくお願い致します。