第3話 政治家を目指していた私がなぜ途上国の教育に関心を持ったのか?

どうも「たくろう」です。

 

前回の記事の続きになります。
♦前回の記事はこちらです♦

第2話 29歳大学生 なぜセネガルで養鶏場?

 

前回の記事の終盤なんだっけ?、、、それはですね「牧野が2回離職し、牧野は自分のやりたいことを見つけるには自分自身が関心があることは【とりあえずトライし、もしトライして関心がなかったら辞めればいいと】無責任なことを言ってた巻でした。

 

では今から、約6年前に回帰します。
ある日、たくろうは親に相談もせずJA(農協)を辞めました。

詳しくいうと、、、辞める前に一度、たくろうの勤務態度についてJAの方と私、私の親で三者面談はありました。

なので親はそれまでおそらくたくろうは、JAを辞めるのではとビクビクはしていた思いますが、、親父&お袋申し訳ありませんでした!^^

で、JAを離職してから私は「政治家又は総理大臣」になり私なりの考えで日本社会をより良い社会に変えていきたいと考えていました。お前しょうきかって話しですよね!

実はこの考えは、警察学校に入校していた時から抱き始めていました。

当時、政治家又は総理大臣になるためには名のある大学に進学しなければいけないと思っていました。そこで、私の出した答えは「国立大学の一橋大学」に入学することでした。

恥ずかしい話になりますが、私は中・高校と勉学とはかけ離れた生活を送り、高校では試験の度に毎回赤点を数教科とり校長先生と親を交えての三者面談に招待されていました。

ちなみに、高校の校長先生の自宅は私の家の真横だったので、お袋からは「あんたのせいであの3年間(私の高校在籍時)は胃が痛かったと言われました。

そんな感じだったんですが、私は「俺だって勉強を本気ですれば一橋大学」に入学できるといった自信を持っていました。なので、次は予備校に通おうと決意。

ですが、当時23歳ということや両親にそれまで多大な迷惑をかけてきたので、当たり前ですが予備校費を自分で用意する必要がありました。

 

私はその資金を貯めるために地元から愛知県の自動車工場に派遣社員として働きに行きました。

自動車工場の現在(18年・9/22)の状況は分かりませんが、当時は「働きたいです」と会社に伝えれば残業をやらせてもらえや休日も働かせてもらえました。

そのため私の地元では考えられない給与を頂いてました。また、自動車工場が長期休暇の時や休日には引っ越しのバイトやミスタードナーツでも働いていました。

いや~~自己満ですがめっちゃくちゃ働いてました。

あの頃思ったこととして、高卒で特別なスキルを持っていない人物でもこんなに稼げるところが日本国内にあるんだと。

ここで皆さんに伝えたいこととしては「情報を知っていると知っていない」では大きな差が生まれるということでした。この学びは私のその後の人生に大きな影響を与える学びになりました。

お金のために膨大な自由な時間は失っていましたが。

 

この頃からネットでの情報収集や本を読むようになっていました。そんな時、私の人生を決定づける本に出会いました。

その本は「最高の授業を世界の果てまで届けよう」という税所篤快(さいしょうあつよし)さんが書かれた本です。

この本に出合い、私が心の底から人生を掛けてやりたいのは「途上国の人々に教育の機会を提供すること」だと心底思え、私の人生目標は進路変更しました。

あの本と出会った時の感覚はちょっと思いだせませんが、、、本を読んいる最中、瞬きをすることをわすれ「やっと答えをみつけたぞ」とつぶやき、生まれてきたことに感謝していたような状況だったかなと思います。

私の目標が「政治家や総理大臣から、途上国の人々に教育の機会を提供すること」に変化した理由を述べたいと思います。

私が政治家や総理大臣を目指していた当時、「元大阪市長・橋本徹さん」が活躍されていました。その橋本徹さんからの影響が政治家を目指す切っ掛けとなりました。

しかし、テレビを通して政治家の方々の様子をみていると、なんだか皆疲れてるように見えるし、お互いに足の引っ張りり合いをしているように見えるなど、またメディアは対したことないと思われる事をくどくどと取り上げ政治家の方を批判している様に私には見えていました。

そういうことから、政治家に対しての興味が薄れていきました。

こんなことを言ってますが、最大の理由は私自身の能力なのはいうまでもないですが。

政治家の方は日本のために仕事を一生懸命されているのにあまり報われてないと個人的には感じています。

またこの時点で、「目標が途上国の人々へ教育の機会を提供すること」へと変化した理由はいくつかあります。

まず上記で紹介させてもらった、税所篤快さんが私と同じ歳で海外で教育に関する破天荒な活動を行い社会にインパクトを与える面白過ぎる活動を行っていました。

そのことに影響を受け、同じ歳の方がやっているなら「自分もしたい、自分にもできるだろう」という根拠のない自信を持ったことや。

国の発展のを考えた際に最短の方法はやはり教育だと思っていましたので。

また、社会により良いインパクトを与えることを考えた際に政治家より、個人で動き始めたほうがしがらみもなく自由にスピィディーに面白く動けると思ったことも大きな理由ではあります。

今後、改めて私の目標である「途上国の人々へ教育の機会を提供」については私の考えを詳しく述べます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回の投稿も宜しくお願いします!

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