牧野養鶏家ブログ

第2話 29歳大学生 なぜセネガルで養鶏場?

どうも「たくろう」です。

前回の記事の続きになります。

♦前回の記事はこちらです♦

第1話 なぜ西アフリカで養鶏場を始めたのか?どうも「たくろう」です。 私は現在セネガルのある地域に土地を買い、小さな養鶏場を始めて2か月が経ったところです。 第一回目の...

 

 

今回の記事から題名にも記した、私が「なぜ西アフリカで養鶏場を始めること」に至ったかを過去から順を追って記載していきたいと思います。

その前に、私は「牧野拓朗」と申します。現在、東京にある某大学・2年生(夜間学部生)に在籍している29歳の九州男児であります。私は2回目の大学生活を送っています。1回目の大学生活は、2年生が終了すると共に中退しました。

現在は、私の現時点での最終目標である「途上国での教育の普及」を目的とし私なりに個人的に活動を進めているところであります。

では、久しぶりに過去に回帰したいと思います。
あれは今から約11年前、高校卒業後、九州の片田舎から関東の某大学に進学しました。あの進学が現在のたくろうを作り出した切っ掛けになったと個人的には思っています。

今でも覚えています、上京してマクドナルドに行き初めてマックを食べた時のマックの味に対する自分自身の驚き。

私はマックを食べた時に「えっ!!こんな美味しい物があったの!」と思いました。
というのも、私の地元にもあの当時マックは1店舗ありました。

 


ですが、私はその当時ラグビー部に所属し毎日・毎日ラグビーに明け暮れ、同時に私自身の思考はラグビーと狭い世界観で生活を送っていました。

狭い世界観とは、例えばネットを使って外(国内・海外)の情報を得ることをしないことや、テレビから得る情報に対してアンテナをはり自発的に外のものに興味を持ち調べることなどを一切せず、自分の半径5m内で生きていたような状態でした。

マックのハンブルガーを1つとってみても、確かにハンブルガーは体には良くないので食べないことにこしたことはないと思いますが、私自身「ハンブルガーはどんな味なのかな?」と考えることもしませんでした。

スポーツマンの体には悪いからと、思考を働かせる前に狭い価値観の元ハンブルガーをシャットダウンしていました。ハンブルガーに限ったことでなく、これは様々な分野に対してでした。

その為、あの時マックを食べた瞬間や大学で当時私が持っていなかった思考を持っていたある方の影響から、私の思考は少しずつ自分の知らない世界に対して興味を持ち始め、もっといろいろな事を知りたい・見たいと強く思うようになりました。

その後、関東圏を中心に様々な物・食・情報に触れ高校生までの私の生きていた世界がいかに狭かったかを感じるようになりました。

いったい世の中には私の好奇心をくすぐるどんな世界が存在するのか?、、、そしてその世界を見てみたいという欲求にかられる人生が始まりだしたのです。

そして、同時に生きてることが楽しくなってきたのを今でも覚えています。

その後、大学を辞めた20歳頃から私はいったい人生をかけて何がやりたいのかといった悩みが発生するようになったのです。

その悩みを解決したかったのですが、「自分が人生をかけて本当にやりたいこと」といった悩みって、今だから言えるのかなと思いますが一生かかっても解決又は答えを見つけれないまま人生が終わってしまう方がほとんどじゃないでしょうか。

私はその悩みに対する答えを約5年で見つけました。

5年という期間をみた時、「自分が人生をかけてやりたいこと」の答えを5年で見つけれたのは新幹線なみの高速スピードで見つけれたんじゃないのかなと思っています。

そんな高速で答えを見つけれた要因は、私は自分が興味あると思った職や遊びはどんなことでもとりあえずトライしてみて、興味がなかったら止め、どんどん次々にトライをしていったことが要因の1つだと思っています。

例えば、私は1回目の大学を辞めた後、専門学校や警察学校、JA(農協)などいくつか自分が興味を持てそうかなと思うものにトライ(就職)してきました。

、、、公安職(警察)は、正義感や責任感が強い私にとって向いている職だと初めは思っていました。

ですが、警察学校に入校し社会の現状を少し知ると、正義と悪のいたちごっこのように感じるようになり、もっと異なる手法で影響力を持って世の中に貢献したいといった思いを当時抱き初めまていました。

そのような理由や、私の精神面の弱さもあり警察学校を約6か月で辞めました。

、、、JA(農協)は、大変失礼なことではありますが当時の私のおかれた状況や親の勧めから入社したというのが本音です。間違いなくJAは素晴らしい企業ではありますが、私の意思に反しての入社だったため自発的に仕事に取り組む姿勢は無にちかかったです。

これらの経験から私は自分自身のことをよく知る学びを得ました。

それは自分自身が関心がないことを我慢して続けることは私はできないということ。

このように、トライし自分の欲求をみたすものではないと思ったら辞めてきました。

周囲には迷惑はかけましたが、そのようなことを繰り返してきたことで私が「人生をかけてやりやいと思うこと」が少しずつはっきりしてきたのです。

続きは、次の投稿でお読みください。最後まで読んで頂きありがとうございました。

重要ワード関心があることはとりあえずトライしてみる、関心がなかったら辞める。それでいい!


 

ABOUT ME
たくろう
たくろう
29歳大学生(夜間生)、2回目の大学生、離職経験2回。今後の目標は「途上国で教育の普及」。突然西アフリカのセネガルに移住して養鶏場を始めたアラサー。いずれ、セネガルでサッカーチームやダンスチームをつくり地域の活性化に繋げることを画策中。ポリシーとして、ものごとを楽しんでやることが最優先事項。